2013年07月27日

南ベトナム政府軍のバックパック 「ARVNパック」



☆南ベトナム政府軍 背嚢・通称「ARVNパック」


今回紹介するアイテムは、「ARVN(アービン)パック」です

ベトナム戦争当時、アメリカが、南ベトナム政府軍向けに開発した背嚢です。

ベトナム人の体格に合わせつつ、衣料品や米などを収納できるよう機能的に作られており、南ベトナム兵のみならず、適当な背嚢を支給されていなかった米軍兵士も様々な手段で入手、愛用していたと聞きます。(主に重装備を要求される特殊部隊など)

サバイバルゲームが流行し始めた頃、ミリタリー業界はベトナム戦争映画ブームでしたが、当時最も人気のあった戦争映画のひとつである「プラトーン」劇中で米兵が背負っていたのが印象的でした。

今となっては、装備考証の甘さ故、陸軍兵士がARVNパックを使うのは少なくとも一般的ではないのですが、当時「カッコイイ!欲しい!」と思って購入したものです。







☆ショルダーストラップは幅広で若干のクッション性があります


ベトナム戦争装備が流行していた頃はガスガン全盛期だったので、大型のエアタンクを背負ってコイルホースを連結したM16系フルオートガスガンで戦うのが一般的な姿でした。(大抵、ジャングルファティーグかウッドランドBDU、通好みはタイガーパターンでした)

当時はエアタンクを背負う都合上、容量の大きなバックパックが多用されていたので、このARVNパックや、80年代に米軍に普及していたアリスパック、安価な中国軍リュックサックがどこのサバゲーフィールドでも見られましたが、電動ガンが普及するにつれて「暑い、重い、邪魔」な背嚢は急速に廃れてしまったようです。






☆大型カーゴポケット2個、各部に装備連結穴&スリット有り


本体収納部は広く、二つのカーゴポケットも大きめで収納力が高いです。

パックのフタの部分には、装備連結穴&スリットがあり、南ベトナム政府軍で使われていたM1943ショベル・ケースを吊り下げられます。

本体下部にはショベルの柄を固定するストラップもあり、プラプラすることもありません。

ちなみに、映画「プラトーン」ではM1956ショベルを装備しています。

アリスキーパーを通せるスリットがあるので、一応装備はできるのですが、連結パーツの素材強度と縫製がショベルの重さに耐えられそうにないので、真似しないほうが得策ですね。







☆背中のXフレームは金属製


背中側には、十字型の鉄板製フレームが仕込まれており、背嚢が極力、背中に触れないようになっています。

この構造のおかげで、発汗時の不快感を軽減したり、少しでも通気性を向上させつつ重量分散にも効果を発揮するようです。

この十字型フレームは簡単に取り外すことができるので、錆びないように手入れできるので便利です。

ARVNパック開発当初の計画では、すべての素材・縫製をベトナム現地で賄えるように作られており、このフレームも竹を削って作られるように考えられていたそうですが、実際に使われたARVNパックは全てアメリカ国内で製造されたもののようです。

当初、プラトーンの米兵コスを忠実再現すべく購入した私ですが、軍装知識が深まるにつれ、使い道がなくなってきてしまいました。

南ベトナム政府軍か、米軍特殊部隊、あとは海兵隊でも使われたと聞きますが、いずれも装備調達の予定もないので、このARVNパックも今は手放してしまいました。

私は手放してしまいましたが、今となっては、ベトナム戦争当時の装備も徐々に希少になってきています。

特にARVNパックは基本装備のたぐいよりも流通量は少なめでしょうから、所有欲のある人は優先的に確保しておいたほうが良いかと思います。



  

Posted by らんたろー at 08:10Comments(2)装備:アメリカ軍

2013年07月20日

BOOKレビュー:決戦下のユートピア







☆「決戦下のユートピア」 (荒俣宏・著)


この本は、戦時中の一般人の生活の中にあったであろうユートピアを紹介するという内容です。

ユートピア、すなわち、戦時下でも有る所には有った贅沢品を満喫していた一部の人々の事や、軍部の元で予算を優先的に手配して貰いながらひたすら研究に打ち込めた技術者達など、戦時下においてというより、戦時下だからこその理想の生活を享受できた人々や環境も有ったんだよ、という部分を取り上げてあります。

また、結婚適齢期になっても結婚したがらず、女だてらに働きながら実家に金も入れず好き勝手に自由な生活を続けている都市部の若い女性が問題視されていたり、国家主導の結婚斡旋所(なんせ産めよ増やせよの時代ですから)における、あまりにも高望みな条件を指定する母親達に頭を抱える関係者の話(例えば、折角の良縁を、家柄の“格”が違うとして破談にしてしまう傷痍軍人の母)など、戦時下でありながらも、現代の日本人と変わらないメンタリティが垣間見えるエピソードが紹介されています。

注目したいのは、これらの記述が全て戦時中の書籍のみを対象に編纂されている点で、特に戦争の意義などに、戦後のバイアスがかかっていない点が好印象でした。

著者は、様々なジャンルに造詣が深く、自身も多くの小説を発表している荒俣宏氏です。

マンガ「ゲゲゲの鬼太郎」の著者である水木しげる先生を師と仰ぐ、私の贔屓にしている作家の一人です。

p.s.表紙は戦前のフランスで描かれた絵です。これは、やはりアレですか、今流行の「萌え+軍事」の先駆け・・・?




  

Posted by らんたろー at 10:00Comments(0)雑文・雑記

2013年07月13日

ソ連空挺軍 RD-54空挺背嚢 (実物放出品)



☆RD-54空挺背嚢


ソ連空挺軍の兵士が戦場に関わらず大抵背負っている特徴的なアイテム、それがRD-54背嚢システムです。

かなり昔から運用されている装備で、RD-54と言う位ですから、1954年制式なのでしょう、多分(憶測)

現在でも製造されており、素材はナイロンに、色は迷彩に変更されつつも、ロシア軍でも使われ続けています。












☆RD-54の付属品一式


RD-54システムは背嚢・マガジンポーチ・グレネードポーチ・ショベルケースの4点で構成されています。














☆RD-54・付属書類


以前から欲しかったアイテムでしたが、幸運にも新品・未使用の個体を入手できました。

デッドストックという事で、欠品しがちなショベルケースもしっかり付属しており一安心。

背嚢内部には、画像のような書類も入っており、ちょっと得した気分です。
(残念ながら、読めないんですケドねw)












☆各ポーチは連結してあります


この内、ショベルポーチのみ独立していますが、その他ポーチ類は背嚢とストラップで連結されており、取り外すことはできません












☆RD-54着装状態・正面



☆RD-54着装状態・横面



☆RD-54着装状態・背面


着装の際には、背嚢を背負い、ポーチのループに装備ベルトを通して固定しますが、多くの場合、背嚢を背負うだけで、ポーチ類はベルトに通さずブラブラさせています。(要するにポーチとして使っていない)

また、ショベルケースに至っては使っている所を見た試しがないという始末です。












☆RD-54付属マガジンポーチ・表面


マガジンポーチにはAK47及びAK74用マガジンが2本収納できます。

AK系30連マガジンなら大抵収納できるものの、歩兵用マガジンポーチに比べると寸法的にかなりタイトな作りなので、マガジンの出し入れはかなり面倒です。












☆RD-54付属マガジンポーチ・裏面


ポーチ裏面にはベルトループがあり、装備ベルトを通して腰に固定します。

ソ連軍をはじめ、共産圏ではオーソドックスな装備方法です。












☆マガジン収納状態


マガジンポーチに限らず、RD-54の各部のフタの開閉には独特の固定ボタンが使われています。

この形の固定ボタンは、第二次世界大戦以来、ソ連軍装備ではポピュラーな構造で、同じ共産圏各国でも同様の構造が広く見られます。(中国軍のチェストリグなど、特に有名ですね)

RD-54の固定ボタンは、戦後装備品によく見られる、プラスチック樹脂製ボタンとナイロン製フラップの組み合わせになります。












☆RD-54付属グレネードポーチ


グレネードポーチにはハンドグレネードが2個収納できます。

画像の通り、F-1手榴弾・RGD-5手榴弾共、ぴったり収まり、蓋の開閉も問題なく出来ます。












☆内部の様子


マガジンポーチ同様、グレネードポーチもお世辞にも使い勝手が良いとは言えません。

どちらのポーチも寸法がタイトで、しかもつづみボタンの固定が異常に硬く、収納物の出し入れに苦労します。

恐らく空挺降下時の事故防止のために意図的にきつめに縫製してあるのでしょうが、個人的には実用性に疑問を感じるレベルの使いにくさと感じました。














☆RD-54付属ショベルケース


RD-54システムの中でも、特に扱いが微妙なショベルケースです。

マガジンポーチやグレネードポーチと違い本体とは別に単体で存在する為か、中古放出品では欠品していることもザラな、極めて存在感の薄いアイテムです。

他のポーチ類同様、寸法がタイトすぎてショベルの収納・取り出しに難儀します。

現場で使われなくなるのも道理ですね。














☆蓋が閉まらない!破れれぅ!


特に、ソ連軍の一般的な携帯ショベルを収納した場合、画像のように突端が干渉するため、相当無理をしないと蓋が閉められません。

あまりに収まりが悪すぎるので、専用形状のショベルがあるのではと思いググってみましたが、確認出来ませんでした。












☆冷戦時代のソ連空挺軍装備


イラストは、標準的なソ連空挺軍兵士の装備です。

RD-54と空挺降下服の組み合わせは、東西冷戦時代全期間を通じて、ソ連空挺軍の訓練・演習の映像で見られます。

イラストでは、落下傘降下を想定して降下帽を被っていますが、降下後は空挺ベレー帽に替えたり、降下服も襟章・肩章・袖章などの徽章を縫い付け、開襟で常勤服のように着こなす例も多く見られます。

また、実戦場である1980年代のアフガニスタン派遣部隊では、KLMKやKZSなどの迷彩カバーオールや、アフガンカ、ゴルカ等の被服と組み合わせた様々な着こなしが見られます。












☆謎の肩の袋、一体何者なんだ・・・?


右肩には筒状の袋が縫い付けられています。

はじめは使い道が分からず、フレア(信号弾)でも収納するのかなと思っていましたが、右肩の疑問の回答はRD-54の構造にありました。












☆降下時のRD-54の装着位置


イラストのように、右肩の袋は、逆さに装着した携帯ショベルの柄が収まるんですね。

降下後は、装着位置を背中に戻して、ショベルも柄を下にしてベルトに付け直すようです。(実戦ではとてもそんな余裕はなさそうですが・・・)

RD-54は、空挺降下時にはストラップを調整して、装着位置を大きく変更できます。

やたら調整幅の広いストラップなのは、そのためだったのかと疑問が氷解しました。












☆RD-54本体


RD-54背嚢本体は、中にワイヤーフレームが内蔵されており、中身がカラでも型崩れしません。

詰め物いらずでサバゲーマーにはありがたい仕様ですが、戦場の兵隊さんには容量の面で不評だったようで、アフガンの戦場写真では様々な個人改造品が見られます。

蓋の固定は、ポーチ類同様の固定ボタンで行います。

かなりタイトな作りなので、少なくとも不意に開くようなことは(ボタンが取れてしまわない限り)ないでしょう。
















☆RD-54蓋の開閉の様子


背嚢の蓋は画像のように三重構造という念の入れようです。

落下傘降下を前提とした空挺装備ならではの作りですね。












☆RD-54背嚢各部のハトメ穴




☆ハトメ穴の裏にはナイロン紐が縫い付けられています




☆ハトメ穴からナイロン紐を引っ張り出し、荷物を縛着します


RD-54は、各部にハトメ穴があり、ここから内蔵のナイロン紐を引っ張り出して、必要な装備品を縛着することが出来ます。

このRD-54は未使用品のため、ナイロン紐は破損もなく、先端に(恐らくほつれ防止の)グリスが塗りこんであります。

素材や構造からして、重量物の固定には不安のある部分であり、中古放出品ではナイロン紐が欠損しているものも少なくないようです。












☆形容し難い存在感、それがRD-54の魅力・・・かもw


いろいろと機能面を考えて作られているRD-54ですが、結局アフガニスタン等の実戦場ではもっぱら単なる背嚢としてのみ使われたようで、マガジンや手榴弾はそれぞれ一般歩兵用ポーチを追加で携行したり、個人でチェストリグを調達したり、戦闘服のポケットを利用するなどして持ち運んでいたようです。

かようにクセのある装備ですが、システマチックな外見や、特殊な金具が格好良いので、つい使いたくなる妙な魅力があると思います。




  

Posted by らんたろー at 08:35Comments(2)装備:ソビエト・ロシア軍

2013年07月06日

BOOKレビュー:最後の将軍






☆「最後の将軍」 (司馬遼太郎・著)


この本は、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜の生涯について書かれた小説です。

著者は歴史小説の分野ではあまりにも有名な司馬遼太郎氏です。

今回、初めて司馬遼太郎氏の小説を読んでみました。

司馬氏の作品にはかねてより興味はあったのですが、何冊にも渡る印象が強くて、なかなか手が出せずにいました。

その点、この「最後の将軍」は、一冊完結だった為、手にとってみた次第です。

読了後の感想から言うと、長編小説でも人気のある作家だという事が実感できた、という感じでしょうか。

最後のページをめくった後、「もっと読みたい!」と思わせる面白さでした。

どこか、俯瞰視点で書かれた印象があって、それが小説の枠を超えてあたかも“事実”を学んだかのような説得力を持ち、その事が俗に「司馬史観」と言われる印象に繋がっているのかな、と納得した次第です。

この小説を読んでいると、本人の意思に関わらず、周りの人々(初めは父親、やがて攘夷派の志士達)に勝手に期待され担ぎ上げられ、やがて失望され恨まれる様子が度々描かれています。

一方で、慶喜自身もまた、自分の信念に揺らぎなき生き方を貫いており、やはり大人物には違いないのですが、なんせ己の心情に違わければ、一旦開戦の大演説をぶち上げて士気が最高潮に達した幕府軍を前に、翌日にあっさり出陣を取り止めたり、大坂で将軍自ら陣頭指揮しての一大決戦を企図しながら兵を置き去りにして一人江戸へ帰り謹慎に入るなど、あまりにも無様かつ不可解な行動を平然と行いうる所が、当人の評価を二分三分させているのだと感じます。

ただ、歴史という視点で見れば、慶喜がひたすら天皇に恭順する姿勢を貫いた事で、泥沼の内戦状態を回避し、速やかに富国強兵に移れたのですから、日本国の行く末に多大な貢献をしたとも言え、その点において徳川慶喜は間違いなく偉大な将軍であったと言えましょう。

考えてみれば、徳川慶喜という人物、実際にはその前半生を「一橋慶喜」として生き、77歳まで生きた人生の中で、徳川十五代将軍として存在した時間はせいぜい2年ほど、倒幕運動が起こり大政奉還によって徳川幕府が消滅するまでの “幕末” と呼ばれる時期すら、5年程度という事を思うと、なんともいえない感覚を覚えます。

一冊で完結する、比較的短い小説でしたが、その内容は読者に歴史を知る快感を感じさせてくれるに充分な物だったようです。

俄然、司馬遼太郎氏の著作への興味が沸いてきました。




  

Posted by らんたろー at 09:41Comments(2)雑文・雑記